(続)ごんぼねっこ日記

ジサマは、中学校の元教師。定年退職した日まで精いっぱい勤めたあげたつもりだったが、結局、育ててもらったのはジサマのほうだった。子どもたちはすごい。そしてバサマはもっとすごい。みんなに感謝の気持ちいっぱいで生きている。

   

マニュアル通り

牛丼屋さんに入った。

客は、ジサマとバサマ2人だけ。

すぐに、もう1人、お客さんがきた。

その人は、お持ち帰りの弁当を頼んでいる。

「○○と○○ですね。かしこまりました。」

「番号札、15番でお待ちください。」

「15番…。」

札を渡されたその人はぼそっと言って、椅子に座った。

番号札…?

15番…。

どっか変じゃなくね?

* * *

少し過ぎて、

「番号札15番でお待ちのお客様。」

「ご用意が出来ました。」

目の前、一人しかいないその人に向かって言っている。

番号札15番って…。

* * *

しばらく前だが…

マニュアルどおりにしかしゃべれない店員が多くなったことを嘆いたタレントがいた。

ジサマも、全くその通りだと思った。

次の週、手紙が来たと言う。

「しゃべれないわけではありません。しゃべることは許されていないのです。」

「私たちだって、自分の言葉でしゃべりたい。」

そういう内容だった。

聞いて、ジサマは自分の考えの浅はかさを思い知った。

* * *

バイトは勿論、正社員でも心許ない対応が目立つ昨今。

自分なりの考えや言葉でしゃべられたら、どんなトラブルが起こるか分からない。

すばらしい店員であってほしいと願うより、最低限度の対応が出来る店員であってほしいと願うのが現実的。

マニュアルは、そういう「最低限度」を保証するための道具であった。

* * *

翻って、教員だったジサマ。

学校現場には、こういったマニュアルはなかった。

マニュアルなんかに頼らなくても、教員ならば出来て当然。

 マニュアルなんて必要ない。

正論である。

しかし、本当に、先生の「最低限度の品質」は保証されていただろうか…。

教員の問題があとを絶たない今、マニュアルなんて必要ないと言い切れない自分がいる。

 

マニュアル通りにしゃべる店員を侮蔑した自分の浅はかさが情けない。